スタッフ紹介

三ツ村 聖

三ツ村 聖

出身
岐阜県です。
育ち
大阪に10年程住んでいました!
資格
柔道整復師
資格
J&M Real Therapy Club インストラクター
趣味
サッカー・観戦も好きです(^ ^)

「施術に対しての想いを教えてください」

1人でも多くの「肩・腰の痛みや不調」でお困りの方の助けになりたい!役に立ちたい!という思いでやっております。また、施術を通し、患者さん1人1人それぞれの人生を謳歌していただく手助け・サポート役となれる様、本気で対応させていただいております。

経歴を簡単に教えてもらえますか?

治療のプロになる!と高校3年の時に想い、まずは国家資格を取ろうと考え、国家資格である柔道整復師(接骨院の先生の免許)を取得しました。専門学生時代は、学業を中心に整骨院でのアルバイト接客業(焼肉屋さん、バーなど)を経験しました。

専門学生時代から(現在も)大変お世話になっている飯田要次郎先生(飯田接骨院)は、どんなにひどい症状の患者さんでもその場で改善されるレベルの高い技術を提供する先生ですので、その先生のもとで修行、マンツーマンで教えていただいた経験が今にものすごく生かされています。飯田先生に背中を押していただき、2014年5月に瑞穂市本田に開院しました。

師匠と呼べる方はいますか?

師匠と呼べる方はいますか?

はい。2人います。

1人目は、先ほどもお話したように18歳で専門学校に入学した時から現在も大変お世話になっている愛知県・一宮市の飯田接骨院・飯田要次郎先生です。

2人目は、野村忠治先生。既に「伝説」になりつつある治療家です。50歳を過ぎるまで弟子を誰ひとり取らなかったのですが、良きご縁をいただき勉強させていただいています。

それぞれのエキスパートから直接学ばせていただき、確固たる自信を持って、患者さんに対応させてもらえる様になりましたね。

どんな患者さんに来て欲しいですか?

そうですね。今抱えている症状を良くしたい!身体を変えていきたい!と思われている方に来ていただきたいですね。
身体を良くするのは、あくまで患者さん本人だと考えているからです。
なので僕は、そのサポート役です。もちろん身体の痛みや不調の原因となっている部分に対し、的確にアプローチし早期改善を目指します。しかし、たまにあるケースなのですが、施術を受け家に帰って普段の生活に戻った時に、「これは身体を悪くするので、絶対にやらないでください!」とお伝えしたことを平気で守ってくれない方がいます。こういった自分のお身体を大切にしない方は、いくら施術を受け、良くなってもすぐに元の状態に戻ってしまいます。
ですので、一緒に「身体の痛み・不調を良くし、さらに良くなったら◯◯をする!」などを目標・ゴールとし、その同じゴールに向かっていける方に是非来ていただきたいですね。

ポリシーはありますか?

ポリシーはありますか?

はい。それは、お身体の痛み・不調をかかえていて「どこへ行ったら良くなるのか?どうしたら良いのかわからない・・・」と困っていられる方を1人でも多く救っていく治療家になることです。そういった方々にとっての光と言いますか、これから先の明るい道・未来を開いていけるキッカケとなる!そういった想いで施術にあたっています。

子供の頃はどんな子でしたか?

子供の頃はどんな子でしたか?

ん〜保育園児の頃は、◯◯レンジャーごっこをよく保育園でしていたのを覚えていますね(笑)幼稚園から小学生になるこの頃からは、毎日サッカーばかりしていたと思います。よく父親に相手になってもらいサッカーをしていたのを覚えています(笑)小学校に入ってからも変わらずに、毎日学校が終わり家に帰ったら、その日の宿題を終わらせてすぐに近所の神社で年上の仲良かった人達と一緒に、毎日暗くなりボールが見えなくなるまでサッカーしてましたね。

本当に小さい頃の思い出と聞かれると、サッカーばかり出てきます(笑)こうやって振り返ると好きなことは、とことんやりたい。目標を達成するまで絶対に諦めない性格なのは今も変わっていないと思います。

また、男だけの3人兄弟(ちなみに長男です)なので、家の中はもの凄く賑やかだったと思います。兄弟とは今でも仲良いですけど、小さい頃は遊ぶ時も活発でしたし、喧嘩も絶えなかったでしょうからね(笑)

最後に、みつむら接骨院にこれから行ってみようかな?と考えている方に向けて一言お願いします。

お身体の痛みや不調といった悩みをかかえている方には是非一度、当院へ足を運んでいただきたいです。

永峯 力

永峯 力

出身地
岐阜県各務原市
趣味
野球、キャンプ
血液型
A型
資格
柔道整復師

幼少期から高校時代

友人から誘われたのをキッカケに小学2年生で野球を始めました。最初はヘタクソでまともにキャッチボールも出来ない、バットを握っても振り方も分からなくて、本当に悔しくて毎朝ランニング・素振り、学校から帰ってきたら父親とグラウンドに行き練習していました。

中学時代はクラブチームに入り、エースで1番バッターとして全国大会にも出場する事が出来ました。努力したかいがあり、高校では大垣日大高校へ推薦で入学し、春・夏と2回甲子園に出場しました。春は準優勝、夏はベスト8まで勝ち進みこの結果には大満足でした。しかし自分自身としては、決して満足のいく内容ではありませんでした。

というのも高校に推薦で入ったのはいいがチームメイトは自分より上手な選手ばかり、体格も大きくてセンスの塊みたいな選手ばかりでした。

それが悔しくてガムシャラに練習し、自主トレでも毎日0時を越えるまで練習し努力を続けたことで、なんとかレギュラーで試合に出れていました。

しかし毎日体を酷使していたので、肩・肘が故障してしまいボールが投げられなくなってしまいました。その時に接骨院へ通い治療してもらったり、トレーナーさんに見てもらったりして何とかまたボールを投げられる状態になりましたが、数ヶ月後にはまた故障して投げられない、、、という本当に辛い時期があり「練習してもっと上手くなりたい」といつも思っていました。

その頃は精神的にも辛かったですが、接骨院の先生に励まされたりアドバイスを受けたりして助けていただき3年間高校野球を続ける事が出来ました。この経験を通し自分もこういう仕事がしたいと思いました。

転機

高校を出てすぐ専門学校に入り、接骨院でアルバイトをしながら3年間辛い時もありましたが、勉強に励み柔道整復師の国家資格を取得しました。

アルバイトしていた接骨院でその後数年間働き、実務経験を積み、更なる成長を求めて岐阜市にある接骨院で分院長として働いていました。患者さんも増えていき大変でしたが、正直その頃は天狗になっていました。

そんな時、昔一緒の接骨院で働いていた三ツ村先生と久しぶりに会う事になり食事へ行きました。昔から三ツ村先生は勉強熱心で尊敬していましたが「治療に対する考え方・知識・技術・患者さんへの接し方など」かなり細かい所まで気を使い仕事している事を知って自分が恥ずかしくなったのを覚えています。それと同時にこんな治療家になりたいと強く思うようになりました。

その後、三ツ村先生から「一緒に働きませんか」と誘われ、現在みつむら接骨院で日々勉強しながら理想の治療家を目指し技術研鑽しています。

現在

痛みや不安があると、1日に何回も苦痛の表情になってしまう。それだけで意欲がなくなったり、気持ちも暗くなってしまいます。また「普通に日常生活が送れない」「仕事が辛い」「趣味に没頭できない」など様々な悩みが出てきます。

そんな方逹の力になり、少しでも早く苦痛の表情がなくなり、笑顔を増やしていきたいと願い全力で治療していきます。

藤田 直希

藤田 直希

出身地
兵庫県篠山市
趣味
服、音楽
血液型
A型
資格
JADP認定整体ボディケアセラピスト

幼少期から高校時代

小学生の頃は友達とずっと遊び回っていました。中学生になり卓球部に入りましたが、正直とりあえずの気持ちでのスタートでした。

しかし、練習する度に上手くなっていくのが楽しくて毎日頑張って練習しました。

試合にも出れるようになり、どんどん勝てるようになり楽しくて、ますます卓球に打ち込んでいました。

そんな中学2年の秋に、腰に今まで感じた事のない違和感が出てきて、ある朝痛みで起き上がる事ができず、歩くたびに激痛が走りました。

病院へ行き、検査すると「腰椎椎間板ヘルニア」との診断。その後満足に練習する事が出来なくなり、病院へ通院する事が増え、中学を卒業する頃にようやく腰の痛みがほぼなくなりました。

高校では卓球部がなかった事もあり、友人に誘われたのをキッカケにソフトボール部に入りました。

チームメイトと夜遅くまで練習するのが楽しかったのを覚えています。練習のかいもありレギュラーとして活躍していました。この頃、人生で1番練習、努力していました。

その矢先に、またしても「腰椎椎間板ヘルニア」の再発。練習すら出来なくなり本当に悔しかったですし、最後の試合は無理をして出場しましたが満足のいくプレーは出来ませんでした。

中学、高校と学生時代はヘルニアに悩まされ悔しい思いばかりでした。

転機

高校卒業後は特に夢がなく、コンビニエンスストアでアルバイトをしていました。「このままではアカンな~」と日々思っていた所、両親から「昔はよく肩を揉んでくれた」「あの時は嬉しかった」と言われた事がキッカケで、人を治すマッサージの仕事がしたいとの思いが強くなり、大阪の保険の使える整骨院で働く事にしました。

その職場では治療技術や知識などを教えていただいたのですが、毎日同じ患者さんが来院されて正直症状が良くなっている気がしませんでした。

最初はマッサージで喜んでもらえて嬉しい気持ち、やりがいがありました。しかし毎日同じ患者さんから「まだ肩が痛い」「まだ腰が痛い」といった声を聞いている内に「自分では治せないんじゃないか」と次第に自信をなくしてしまい、上司に相談にのっても納得のいく意見をもらえず、一度治療家としての人生を諦めてしまいました。

その後異業種に就職したのですが、やはり「身体に関わる仕事がしたい!」との気持ちは変わらずリラクゼーションサロンに再就職しました。

ただマッサージをするだけの店舗で働いていると、やっぱり自分は治療がしたい。施術で身体を治したい!と強く思うようになりました。

そんな時に「みつむら接骨院」を知り、三ツ村院長と実際に会い、施術や治療に対する思いを知り、自分も痛みに悩む患者さんを治せる治療家になりたいと思いそれから日々施術技術を磨いています。

現在

痛みによってしたい事が出来ない。今まで好きだった事を諦めるしかなかった。そんな方々の悩みを解消したいと思っていますし、私も学生時代、満足にスポーツに打ち込めなかったのでその辛い気持ちわかります。

患者さんには、痛みのない日々を送ってもらいたいとの思いを胸にこれからも更に腕を磨いていきます。